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中国外交を考える

text by

小泉龍司

2006.08.11

1.8月15日の終戦記念日を前にして

8月15日の終戦記念日を前にして、首相の靖国参拝問題に対する世論が大きく動いた。先般、昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀に不快感を示していた発言メモが明らかになり、それを重視する国民が6割を超える中、首相の靖国参拝に反対する人の割合は約6割に急増した。

この問題の是非については、次の3つの観点から議論を行う必要があるのではないかと思う。

  1. 日中国交回復に至った経緯と両国合意の内容
  2. 日本のアジア外交の戦略および中国のアジア外交戦略
  3. 第二次世界大戦をどのように国民が捉えるのか

これらの3つの問題が重なり合うために、これまで世論は割れ、その中で様々な議論が行われてきた。

論点をこの3つに分けて、私なりの考え方を述べたい。

2.日中国交回復に至った経緯と両国合意の内容

日中戦争は中国本土で戦いが長期間継続し、多数の中国民間人が犠牲となった。その傷を負う中国国民の中には、日本国民全体が加害者であると捉える人々が多く存在していることも事実である。

その中で、田中総理が訪中し日中国交回復が行われたが、その際両国首脳は、「日中両国民ともに被害者である。中国に進攻した日本軍の将兵も召集令状一枚で招集され、上官の命令により戦争を行ったのであるから、あくまで戦争の被害者である。」との位置づけを行った。

では、戦争の責任は誰が負うのか。それは、中国大陸に進攻した日本軍の最高幹部であった4人のA級戦犯である、との理解の下に、いずれもが戦争の被害者である日中両国民が友好を回復するという形で国交回復が行われた。こうした形で、日中国交回復の基本的な枠組が形成されている、ということが中国側の靖国参拝反対の理論的根拠になっている。

3.日本のアジア外交の戦略および中国のアジア外交戦略

中国はしたたかな国である。21世紀に最も経済成長率が高くなると予測されているのがアジア地域であり、中国は今世紀において、アジアの宗主国になるという明確な戦略を持っている。近年の中国経済の高度成長に自信を深めた中国は今後、この戦略をより強く、より明確に押し出してくると考えられる。

具体的には、東南アジア諸国と中国の間の関税など、貿易障壁を取り除き、農産物、やがては工業製品についても単一のマーケットにしていくことを狙っている。念頭にあるのはヨーロッパにおける「EU」の姿である。

また、今年に入り中国はロシア及びインドに働きかけ、新しいフォーラムの形成に動き出した。先般、上海で第一回目の会合が開かれた。こうした動きの中で中国が最も力を入れているのが「日本外し」である。

小泉総理の靖国参拝を東南アジアの国々が快く思うはずもなく、中国はその機を逃さず、東南アジア諸国に対し「日本外し」のため、様々な働きかけを行っている。

小泉首相の靖国参拝は、こうして中国がその戦略を実現していく上で、誠に好都合な材料を提供する結果となってしまっている。

他方、わが国の外交は小泉内閣の下では対米協調一本やりであり、アジアに対しては、点を打つような外交しか行っていない。中国と国境を接しあるいは対抗意識を持つ、ベトナムやインドを意識している程度である。

中国はその間にも、毎年全アジア地区の全政党の代表者を北京に招き、緊密な人的コネクションをアジア全域の政治家に張り巡らしつつある。

小泉首相が「心の問題」などと言っているうちに、したたかな中国はこれを奇貨として、着々と外交上の大戦略を進めている。

4.国民が第二次世界大戦をどのように捉えるのか。

わが国が太平洋戦争に突入した背景には、連合国による経済封鎖に耐え切れなくなったという事情があるが、その経済封鎖を招いた原因は、あまりにも急進的な中国植民地化政策であったと考えられる。こうした国家間の国益の衝突の因果関係については、確かにこれとは異なる見方もあると思われるが、開戦の判断の最終段階で、勝算がないまま開戦に踏み切っていったその判断は大きな誤りであったと考えられる。当時の戦争指導者は東京裁判の正当性の如何にかかわらず、国民に対して大きな過ちを犯したということについて、異論を唱える方は少ないのではないか。

靖国神社は、そもそも明治政府が国家として内外における基盤を確立する過程で、政府のために戦場で戦い、倒れた将兵を祀る神社として設立されたものである。病死した東郷元帥や殉死した乃木将軍は靖国神社には祀られず、それぞれ東郷神社、乃木神社に祀られている。また、戊辰戦争の幕府軍や西南の役の西郷軍の戦死者も祀られていない。そして「英霊」とは一格高い霊であり、国家のために戦場で亡くなった方々を英霊として祀ってきたのが靖国神社である。

こうした点を考慮すると、A級戦犯が戦争の尊い犠牲になった将兵と一緒に祀られるということは、私には腑に落ちないのである。

天皇陛下がどういう意味で、A級戦犯合祀に不快感をお持ちになっておられたのかは分からないが、戦争に責任を負うべき者が戦争の犠牲になられた方と一緒に祀られることへの違和感ではなかったのか。ドイツにおいて、ヒットラーが一般将兵と一緒に祀られていることなどありえない、ということを考えてみればお分かりいただけるのではないか。

5.最後に

こうした点を考えると、首相が私人であれば靖国参拝はまさに「心の問題だ」で済むが、そこには今述べたように厳然として国家間の合意の問題、国益確保の問題、そして国内における戦争責任の問題があり、これらの問題について「心の問題だ」と言って、一切何も議論も説明もしないままという小泉首相の靖国参拝の「あり方」は、「総理大臣」そのものの職責放棄以外の何ものでもない、と私は思います。