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タクシー規制の撤廃がもたらしたもの

text by

小泉龍司

2007.08.02

始まりは小泉内閣における規制緩和

 昨年6月以降、全国の多くの地域(全国90地域のうち51地域)でタクシー料金の値上げ申請が行われ、大きな問題となっている。(長野県、大分県では、本年4月に値上げが国土交通省により認可された。)

 事は2002年、規制緩和の目玉として、小泉内閣がタクシー台数の「需給調整規制」を撤廃したことに始まる。地域毎に客数に応じたタクシー台数しか認めてこなかった規制をやめ、タクシー会社自らが台数を決めること、そしてタクシー会社が新規参入することが認められた。「利用者利便」の向上を目的とするものであった。その後、タクシー会社は、営業収入を増やすために、台数を増やし、新規参入も相次ぎ、利用者の利便は向上したが、一方で深刻な問題が生じることとなった。タクシー乗務員の収入の急減である。

規制緩和万能論者の主張

 長期の景気停滞もあり、客数が伸びない中で、タクシーの台数が過剰となり、乗務員一人当たりの所得はどんどん減少し、特に地方では年収300万円を大きく割り込み、基礎的な家庭生活を賄うことも難しい水準にまで落ち込んできている。これは「自由競争」の結果だから仕方のないことなのだろうか?

 規制緩和万能論を唱える識者(特にエコノミスト)は、『賃金が下がっても、それによってより多くの人がタクシー乗務員という就職先を見つけることができたのだから、それは「失業」よりは良いことだ』という議論をしているが、これは筋が通らない。何故なら、規制緩和万能論者は、「規制緩和を行えば、新しいサービスが生まれ、必ず需要が増加する。また、経済全体に新たな産業が生まれて、そこにも雇用が吸収されるから、供給過剰による賃金低下、ひいては生活水準の低下はおこらない」と主張してきているからだ。

乗務員の生活と利用者の安全が犠牲になるという現実

 しかし、「現実」はそうはならなかった。さらに加えて、賃金の低下を補うために、多くのタクシー乗務員は長時間労働を行わざるを得なくなり、その結果、東京地域では、タクシー事故件数が95年の4,600件から、2005年の8,300件へと急増した。

 「安全」を犠牲にして、客の奪い合いが起こっているのが実態である。「現実」は、経済学者が机上で考えるほど、甘くはなかったのだ。

 こうして、家族を抱え生活できないタクシー乗務員を雇用するタクシー会社は、「客離れ」のリスクを覚悟しつつも、値上げ申請せざるを得ない状況に追い込まれている。

 政府は、参議院選挙後に先送りしたが、この秋にも値上げ申請を認可する見込み、とのことである。

 利用者の立場に立って、考えてみよう。規制緩和の前と比べて、何が変わったのか。タクシーの台数は、確かに増えた。が、しかし一方で料金は上がることになる。本当にそれが利用者の望む姿であったのか。輸送の「安全」と、生身の乗務員の生活を無視してよいのであれば、規制緩和はタクシー台数の増加をもたらし、成功したと言えるであろう。

 しかし現実には、それは、タクシーの過剰供給を生み、「乗務員の生活保持」と「安全」が犠牲になった。そして「市場原理」では、この二つの問題を解決できず、結局は、料金の値上げへと繋がっていった。

ルールなき「自由競争」が「富の奪い合い」に

 規制撤廃の結果、料金が上がるという、矛盾する今回の結末から、我々は何を学ばなければならないのだろうか?

 「規制」とは、「市場のルール」である。そして、「規制撤廃による自由競争」は、時に「ルールなき力任せの富の奪い合い」になっていく。タクシー会社は、少しでも自社の営業収入を増やそうと、それぞれに、台数を増やしていった。他社が台数を増やすのに自社の台数がそのままであれば、当然市場での取り分は減る。従ってどのタクシー会社も、安全や乗務員の生活の安定という面での社会的な許容範囲を超えて、「富を奪い合う」形で、台数を増やしていった、というのが、今回のタクシー規制緩和の例である。

 「富の奪い合い」の厳しい現実がそこにはある。その弊害を上手にコントロールできるルールがあってこそはじめて、「自由競争」のメリットを生かすことができるのだ。ルールなき富の奪い合いをしていた、かつての原始的な資本主義に戻っていくことが「改革である」と、勘違いしては決していけない。

 「すべての規制を撤廃すれば、うまくいく」そういう議論は、弱者の生活や安全を確保するというルール(社会的価値)を無視し、より多くの富の配分を求める、巧妙かつ貪欲な「強者の論理」としての側面を持つ。

 皆様は、この問題をいかがお考えになりますか?