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強い国と不幸(不安)な国民

text by

小泉龍司

2007.09.19

 安倍総理の突然の辞任表明から、一週間。マスコミも国民も、関心は既に自民党総裁選挙に移ってしまっている。早くも忘れ去られてしまったかのように、安倍総理を語る人は、もういない。一年前、主流派になろうと自民党議員が雪崩を打って支持し、マスコミが持ち上げ、国民の7割以上の支持を集めた安倍総理。それが今は、安倍総理に同情したくなってしまうような、落差の大きさだ。

 誤解を避けるために、改めて指摘するが、政治とカネの問題、閣僚の失言に対する安倍総理の処し方は、明らかに国民の感覚と大きくズレていた。国民は、日々もっと厳しいところで生きている。それをまったくと言っていいほど、理解していない安倍総理という背景があったからこそ、年金問題も格差問題も、より大きな「地方の反乱」となって、燃え広がったのだと思う。
 この感覚のズレはしかし、ひとり安倍総理だけの問題ではない。自民党がこの6年間(小泉総理の5年間、安倍総理の1年間)指向してきた方向性の中に、その基本的要因があるからだ。

 二代の総理にわたる自民党政権は、何を指向してきたのか?それは、一言で言えば「国を強くすること」である。
 小泉総理は「構造改革」により、経済的な強国を、安倍総理は「戦後レジームからの脱却により、政治的な強国(戦勝国により敷かれた枠組みからの復権)を目指していた。
 シンボリックな言い方をすれば、経済的な「富国」(小泉総理)と政治的な「強兵」(安倍総理)が両政権の基本的な政治思想であった。

 その方法論として、小泉政権は「企業」を強くすることに重点を置いた。規制緩和、投資優遇税制、資本市場への優遇税制、民営化などである。すべてを「民間企業」に委ねることが「富国」の基本であると考えていた。他方で、国民は負担の増加を求められた。定率減税の廃止、住民税引き上げ、年金、医療、介護保険料の引き上げ。また例えば、「民間企業化」の象徴とされた郵政民営化が10月からスタートするが、新たに発生する印紙税や消費税負担、システム運用費の増加分、約1兆円は、利用者に転嫁され、国民の負担は必然的に増加する。国民の負担によって「民間企業」が強くなるというパターンは同じだ。

 他方、安倍政権の方法論は「基本法」の強化であった。教育基本法改正、憲法改正に向けた取組み。そして、防衛庁の「省への昇格」も行われた。法律の枠組みを強化することが「強国」の基本であると考えていた。

 何か大事なものが忘れ去られていった。それは国民一人一人を「富まし強くすること」である。国を形づくるのは、結局一人一人の国民である。そのことが忘れ去られていった。気がつけば、競争社会が個々人の間に格差を生み、地方は疲弊し、社会保障と医療には、大きなほころびが生まれていた。また、労働分配率(企業の利益のうち、従業員の給与の取り分)が下がり、さらに負担が増えたため、手取り給与は減少を続け、その結果個人消費が伸び悩んで、景気回復は一部業種の外へは波及しない。しかし、こうした矛盾を解決する政治理念と方法論が「富国強兵」理論の中にはない。
 厳しい現実を突きつけられて、苦しまぎれに「それは構造改革が未だ不十分だからだ。」と言う、あきれた市場原理主義者もいるようだ。

 自民党は国の骨格、「富国強兵」だけに関心を持ち、国民一人一人に気を配る「キメの細かさ」を失ってきている。国民一人一人に気を配る −− その中心は年金、介護、医療、そして雇用の問題であり、そのすべての分野において、ほころびが広がっている。年金の納付記録漏れの問題、介護難民、医師不足と医療過疎の問題、そして偽装請負の問題などだ。
 国民一人一人の生活の安定と、老後の安心がなければ、企業だけを強くしても、憲法改正をしても、国民の幸せは実現しない。
 「強い国と不幸(不安)な国民」が生まれるだけだ。

 政治の視点を変えるべき時である。
 何が大事なのか。
 一人一人の国民も、政治を見る視点を変えるべき時である。
 幸せな国民がいて、はじめて国が成り立つのだ。
政治の本質は、国民の幸福のために、「国民が互いに助け合う仕組み」を作ること、そのものである。政治がこの本質に立ち帰ることができれば、多くの困難があっても、国民は政治に協力してくれるであろう。

 小泉・安倍政権が辿ってきた道筋を、このように振り返り、しかと見定めた上で、「強い国と不幸(不安)な国民」路線をそろそろ卒業し、その道程の先に、正しい道を見つけなければならない時に、今、我々は来ている。