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<平成版・前川レポート>−「あるべき社会の姿」を見失った政府−

text by

小泉龍司

2008.08.27

 先月、政府の経済財政諮問会議に設けられた「構造変化と日本経済」専門調査会が、今後10年間に日本が目指すべき社会の姿を報告書にまとめ、これが「平成版・前川レポート」と呼ばれている。
 そもそも「前川レポート」とは、今から22年前、中曽根内閣の下で、前川春雄元日銀総裁が中心になり、取りまとめられた報告書である。当時、経常収支黒字が累積する中、外需依存型経済から内需主導型経済への転換が提言され、これがその後の経済政策の基本的な指針となっていった。

 当時、私は旧大蔵省から内閣官房に出向しこの前川レポートの原案の執筆を担当した(33歳の頃)。
 近年、政策目標達成のための「工程表」という言葉が多用されるようになったが、その起源は、前川レポートではじめて採用された「アクション・プログラム」(言わば政策の実行予定年表)という考え方であり、この考え方は当時事務局にいた私が提案したものである。
 こうした経緯もあり、私は今回出された「平成版・前川レポート」に、特に注目していた。

 この報告書の副題は「グローバル経済に生きる日本経済の若返りを」とされている。
 その主張の眼目は、高齢化が進んだ結果、中高年層の政策決定への影響力が大きくなり、若者には無力感が生じていること。そして社会保障を支える若者にしわ寄せがいかないよう、年金や高齢者医療の給付の見直し(引き下げ)が必要であるという点である。
 確かに、財政や社会保障にかかわる政策は、そのコストを負担する者として、若者が重要な「当事者」(利害関係者)であるにもかかわらず、若者の投票率は低く、また個々の政治家との意思疎通のための方策も限られている。
 その結果、中高年層の意思がより政治に反映されやすい仕組みになっている、という指摘はそのとおりである。
 従って、報告書が提言するように、政府の審議会に若者代表を加える「世代別代表制」のような仕組みを導入することは、正しい解決策の一つであると思う。

 しかし、こうした現状認識がそのまま高齢者の負担増・給付減を正当化する理由にされていることには、大きな違和感を覚える。これは、不当な論理のすり替えである。
 なぜならば、「若者代表」を政府審議会に迎えた時、彼ら(彼女ら)が真っ先に主張するであろうことは、「負担を増やさないで欲しい」という点ではない、と私は思うからだ。

 若者が今、最も強く求めていることは、社会保障のコストの分担以前の問題であると私は思う。
 自らの生活(生存)の確保と維持、すなわち安定した雇用と生活できる賃金をこそ、まず若者は求めているのだ。

 労働者の3分の1を超える(若者を中心とする)非正規雇用、その低い賃金と不安定な雇用をそのままにしておいて、若者には負担の限界がある、だから高齢者が負担を、という報告書の論理は明らかに本末転倒である。政府の責任回避以外の何ものでもない。

 若者の生活は切り下げられたまま、高齢者の社会保障は切り捨てられる。
 それがこの論理の帰結である。
 誰も幸せにはなれない。
 国民を不幸にする逆方向を向いた、この政策論理が堂々と政府の報告書に掲げられたことに驚きを禁じ得ない。

 若者の豊かさを取り戻す政策こそが今求められている。豊かになった若者は、喜んで高齢者を支えるであろう。豊な若者が先駆者である高齢者を支える。それが正しい日本社会のあり方ではないだろうか。 それを実現してこそ、若者も高齢者も幸せになれるのだ。
 本報告書は「政策提言」ではなく、まさしく「現状追認」に過ぎない。
 こうした思いは、「前川レポート」原案執筆者として、どうしても「平成版・前川レポート」に厳しい目を向けてしまう、私だけの思いではないであろう。
 「あるべき社会の姿」を見失った政府の姿こそが、この報告書によって、計らずしも浮かび上がることになった。