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今こそ企業献金の全面禁止を―それが新しい政治の土台を作る―

text by

小泉龍司

2009.03.24

(1)企業献金を認める立場の議論は「企業は、社会の中に実在しており、個人と同様に、納税義務を果たしているのであるから、政治活動の自由が認められるべきであり、その一環として政治献金も認められるべきである。」との論旨に立っている。
 一見、もっともな議論のように思えるが、冷静に考えてみると、腑に落ちない点がある。
 企業が社会の中に実在していることは事実であるが、それは、経済活動の主体として実在しているのであって、政治活動の主体として存在しているわけではない。従って当然のことながら、憲法に規定される「主権者」に企業は含まれない。
 また、納税の義務は、企業があらゆる種類の社会的インフラ(交通・エネルギー・通信・裁判制度・治安維持…など)の恩恵を受けながら、活動していることに対する、コスト負担として課されているものである。従って「納税している」から、当然、企業の政治への関与を認めるべき、ということにはならない。また、たとえ所得税や消費税を納めていても、未成年者や外国人については、それぞれの政策的理由から、選挙権や政治献金は認められていない。

(2)企業は、次に述べるように、自然人である個人とは、本質的に異なる存在である。
 【1】企業の基本的活動目的は、利潤追求である。
 【2】企業は、その内部における利益分配をめぐり、利害が相反する三つのグループ-すなわち、株主と経営者と社員-により構成されている。「会社は誰のものか?」という議論があるが、いずれにせよ、この三者により構成されている、という点については、誰にも異存はないであろう。そして、これらの三者は、経済的に異なる立場に置かれているため、個別の政策的課題に対するスタンスが異なる場合がある。例えば企業の買収防衛策の強化について、経営者や社員は賛成するであろうが、株主の中には反対する人もいる。また労働規制の緩和について、経営者や株主は賛成でも、社員は反対の立場をとるであろう。

(3)企業はこのように、経済的な存在であり、かつ、複数の利害関係者による、複合的な存在なのである。
 ところが、現実に行われる企業献金は、経営者の裁量権の中で、より端的に言えば、経営者の一存で、経営者の利益に添う形で行われている。
 小泉内閣の「構造改革」以降、経団連などの経済団体は、「金も出すが口も出す」とのスタンスで政治への影響力を強めてきた。そして、こうした動きが、労働規制の緩和、それに基づく非正規雇用の増加につながっていった、との指摘も行われている。
 経団連などは、各政党の「政策評価」に基づいて、献金先と献金額を決めているが、献金の決定権を握るのは経営者であり、結局、労働規制の緩和など、経営者にとって都合の良い政策の実現という観点から、献金が行われている。

(4)企業経営者は、こうした「企業献金」という、個人の投票行動とは異なる手段を使って、公共事業の受注という最も古い体質かつ違法なパターンから、今述べた「規制緩和」推進への影響力という新しいパターンまで、幅広く政治に影響を与えてきた。

(5)確かに個人でも献金はできるが、その影響力は、身銭を切らずに多額の献金を長期間、継続できる「企業献金」には比べるべくもない。
 多様な国民の中で、事実上、多額の献金をなし得る大手企業の経営者にのみ、政治に影響を及ぼす特別な手段が与えられているーそれが「企業献金」というものの実際の姿なのである。

(6)企業献金を全面的に禁止し、この「不公平」を、なんとしても排除するべきである。企業献金の禁止による「不公平」の排除は、今後の日本政治の新しい土台を築く作業でもある。企業献金の全面禁止により、政治は、相当額の政治資金を失う代わりに、国民に対する説得力を増すことができる。今日の経済危機を救う、政治の真のリーダーシップは、そこからしか生まれてこない、と私は考える。

(注1)現在、企業から政党本部と政党支部への献金は認められている。政党支部は、多くの場合、特定議員(候補者)が支部長を勤めているので、政治家個人への献金と実質的に何ら変わらない。この他、企業は政治資金パーティのパーティ券を購入することも認められている。

(注2)企業献金の全面禁止に伴う措置として、個人献金については、税制上の優遇措置を拡充することが必要であると考える。