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構造化する労働市場のデフレ

text by

小泉龍司

2010.06.29

1.我が国における、物価動向を分析した内閣府のレポートによれば、物価の基調は次のように分析されている。

(イ) (石油製品、食料品以外の)財の価格が趨勢的に下落している。
財の価格の低下の原因としては、需給ギャップ(雑貨類・日用品などの非耐久消費財の場合)、技術革新による生産性の向上(電気機器の場合)などが指摘されている。

(ロ) 他方で、サービス価格の上昇が見られない。
アメリカやユーロ圏では、サービス価格は常に上昇を続けており、日本だけがサービス価格が長きにわたり安定している。この点が、我が国の物価動向の大きな特徴になっている。

(ハ) 日本のサービス価格が上昇しない原因としては、サービス業における賃金上昇率の低さが指摘されている。
サービス業は在庫を持てず労働集約的であるため、サービスを供給する側の労働賃金との連動性が高く、アメリカとユーロ圏では、賃金上昇率が年2~4%程度で推移する一方、サービスの価格もほぼ同じペースで上昇が続いている。
日本ではサービス業の賃金は前年比で下落している時期が多く、賃金の上昇によるコスト押し上げ圧力が働かないことが、サービス価格が上昇しない原因となっている。
つまり、サービス業の労働市場におけるデフレが、サービス価格の上昇を妨げ、物価全体のデフレ基調の原因となっているのである。


2.では、このサービス業の労働市場におけるデフレをもたらした要因は何であろうか。
次の2つの要因が考えられる。

(イ) 円レート(円安)による調整が不十分であったため、新興国を中心とする海外の低い労働コストが、国内のサービス価格やその労働賃金に対し、引き下げ圧力として作用した。(前稿「デフレと為替レートの関係――米中の通貨政策が日本にデフレをもたらした――」を参照)

(ロ) 人口減少や高齢化が進む中、企業経営者の「期待成長率」が低下してきているため、仮に政府が公共事業などの景気対策により、企業の売り上げや収益を増やすことができても、企業は社員の賃金を容易に引き上げようとはしない。企業経営者は、その市場から競合他社が撤退するまでは価格競争は終わらないと考えているからだ。


 こうした点から明らかなように、サービス業の労働市場のデフレは景気循環によってもたらされた一過性のものではなく、構造的なものである。エコノミストの間にも、ようやくそうした見方が強まってきた。


3.このような労働市場のデフレ構造は、前回の景気回復局面(02年2月から07年10月)の姿にも、如実に現れていた。
 この景気回復期間中の輸出の伸び(実質ベース)は、年率平均10.1%、設備投資は同4.2%であるのに対し、個人消費は同1.3%にとどまった。企業はこの間、設備・雇用・債務の「3つの過剰」の処理を急ぐことを優先して、雇用や賃金は抑制した結果、雇用者報酬(名目)は逆に、同期間中に2.0%減少することとなった
 今回、景気は持ち直し過程に入ったと言われているが、09年4~6月期以降で見ると、輸出の伸びは33.6%であり、他方、雇用者報酬は3.0%減少している


4.以上から明らかなとおり、労働市場におけるデフレがサービス価格の上昇を妨げ、また、個人消費の伸びを抑制している。
 この構造に、日本のデフレの本質が隠されている。
 これは景気循環によってもたらされたものではないので、これまでの伝統的な財政金融政策でこれを是正することはできないであろう。
 先の論稿で見たとおり、財政支出の経済拡大効果(乗数効果)は、どのような支出の形をとろうとも「1以下」であり、支出額以下の経済拡大効果しかない。また、金融政策にも限界があることは先に述べたとおりである。(「政府からの給付金・公共投資及び減税の乗数効果について」「デフレ脱却に向けて、金融政策が負うべき役割」を参照)


5.為替レートによる調整を試みることに加え、経営者の期待成長率を引き上げるため、人口減少のスピードを緩め、持続的なイノベーションを実現するなど、まったく新たな発想に基づく「成長戦略」を打ち立てることが、労働市場のデフレひいては経済全体のデフレを克服するためにはどうしても必要である。
 需給ギャップを短期的に埋める財政政策や単純な金融緩和策には、おのずと限界がある。
 デフレの構造の本質をよく見極めることこそ、デフレ克服の大前提である。