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重なり合う「65年目の夏」

text by

小泉龍司

2010.08.21

1. 終戦から65年目の夏を迎えた。
 戦後の焼野原からスタートした「戦後日本」は建国65年目を迎え、所期の目的である一定の経済的・物質的豊かさは手に入れたが、今後国家として歩むべき道が定まらず、大きな時代の岐路に差しかかって、まさに立ち往生している。

2.明治維新から、同じく65年目を迎えた1933年(昭和8年)の夏、「近代日本」は、やはり国家として大きな岐路の前に立ち、息を飲んで立ちすくんでいた。
 明治維新の所期の目的である、「近代国家」の建設を一応は成し遂げた後、今後の国家の存立と繁栄の基礎を欧米協調におくのか、中国(満州)での権益確保におくのか、まさにその岐路に立ち、日本は立ち往生していた。1931年(昭和6年)に満州事変勃発後、関東軍(旧日本陸軍)は満州各地を占領し、その実質支配の下に1932年、「満州国」を樹立した。
 中国政府はその無効を国際連盟に提訴し、国際連盟は満州国不承認をほぼ全会一致で採択した。
 その結果を受け、結局日本はこの年1933年、国際連盟を脱退し、国際的な孤立化への道を歩み始めることになる。
 1935年にはアメリカに対し海軍軍縮条約の破棄を通告し、軍備増強が軍部主導の下、進んでいくことになる。
 まさに、維新から65年目の夏が、近代日本にとって、国家の命運を分ける岐路になったのだ。
 その岐路から8年後(1941年)に、連合国に対して開戦、12年後にに日本の「近代国家」建設は、おびただしい国民の生命を犠牲にして悲劇的結末を迎える。明治維新から77年目のことであった。

3.当初の明治維新政府が目指した建国の理念は、対欧米孤立化であったのか?否である。にもかかわらず、65年の歳月が国家としての変質をもたらした。では、現代から振り返ってみて、国際社会からの孤立化は、他に選択肢のないやむを得ざる決断であったか?しかと否である。
 過去の視点から見ても、未来の視点が見ても合理性に欠ける選択が、なぜ1933年に行われたのか。
 その適切な答は歴史家に委ねるべきであるが、戦後の「建国」から同じく65年目を迎えたこの夏、日本は間違いなく同じように重大な歴史上の岐路に立っていることだけは確かである。

4.このまま「何も選択しない」という選択をするならば、経済・財政運営をどのように凌いでみても、国際連盟脱退の時と同じようなタイムスパンの中で、8年後、財政破綻が現実化し、12年後、国家破綻が現実化するという予測シナリオを、(正確な年限は別として)完全に否定できる識者は少数に留まるであろう。

 「65年目の夏」を迎えた今、戦後日本の我々は、過去からの視点、そして未来からの視点に立つことができるのだろうか?その問い掛けに、「政治」はしかと「是」と答えねばならない。その責任の重さが深く心を穿つ夏である。
 この夏に思いを巡らせてきたことを、ありのままに次稿以下に述べてみたい。