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日本の社会をどう変えればいいのか(1)―「自己責任原則」はどこまで適用できるか―

text by

小泉龍司

2010.09.24

1.生活保障という言葉
 「生活保障」という言葉はあまり聞き慣れない言葉であるが、これからの日本の経済社会のあり方を方向づけていく時に、キーワードになる言葉である。
「せめて人並みの生活がしたい。」
「せめて貧困に苦しむことなく、平均寿命くらいまでは生きたい。」
「人生の突発的なトラブル(病気・失業・離婚・災害など)に見舞われても、そこから立ち上がって生きていきたい。」
 こうした根源的な思いが人々の胸にはある。裏返せば、人生はこうした根源的な願いがかなえられないかもしれないというリスクに満ちている。
 このリスクを乗り越え、人が人生を全うすることを、どのようにすればできるのか?
 その問題提起が「生活保障」という言葉の意味である。
 民主党が「生活第一」という時の「生活」は、この「生活保障」を指していると私は考えるし、又、多くの国民もそのように受け止めていると思う。(ただし、民主党がこの「生活第一」というキャッチフレーズの内容をどのように規定しているかは、今のところ明らかではない。)


2.自己責任原則はどこまで適用できるか

(1)他方、「生活保障」に対置する考え方として「自己責任」という言葉(考え方)がある。
 社会に頼るのではなく、自らが自分の「生活保障」に責任を持つという考え方は、小泉内閣がその政策の基本に据えた考え方である。
 この「自己責任」という考え方をすべて否定することは適切ではない。努力しない人が他者を、あるいは国を頼りにして、そのことだけで生きていこうとすることは、「不公平」なことである。
 そういう意味で「自己責任」は自由主義社会の一つの重要な原理であり、価値判断である。
 しかし、「生活保障」のすべてを「自己責任」に委ねることはできない。そのことも又、事実である。
 それは、本人の責任に帰すことができない事情により、「生活保障」が全うできないケースが多々あるからである。

(2)まず人生のスタートにおいて、どのような地域や経済環境の下に生まれてくるかは、本人には選べない。完全に偶然性に支配されている。
 そして、人生のスタート地点の違いが一生にわたって影響を及ぼす可能性を、100%否定することもできない。
 近年、社会学者によって指摘されている、「学歴の再生産」(高学歴の親の子どもが高学歴になる)「母子家庭の連鎖」(母子家庭に育った子どもも母子家庭になりやすい)といった社会全体の傾向は、このことを物語っている。
 会社が倒産し失業することも、本人の責任ではないことが多い。
 病気になることも、すべて本人の責任である、と断ずることにも無理がある。
 社会の一線を引いた後の老後の長さ(何歳まで生きるか)ということも、必ずしも本人がコントロールできない。
 このように見てくると、「自己責任」原則だけで社会を統べることに、多くの人々は異を唱えるのではないだろうか。
 事実、最近の世論調査の結果がそのことを裏付けている。
 こう考えてくると、我々は何らかの形で、全国民の生活保障が全うできる制度や仕組みを作る必要がある、という点については、大多数の国民の同意を得ることができると考える。
 この点が、これからの日本のあり方を考える原点になる。