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日本の社会をどう変えればいいのか(8)―「努力が報われる社会」を求める意味―

text by

小泉龍司

2010.10.29

1.前稿において私は、自分の主観から導き出す形で、これからの社会の理念として「努力が報われる社会」を提示した。
 そのことの意味を若干補足しておきたい。


2.近年の資本主義の進化は、弱肉強食の競争の下、「富の一極集中」に向かって進んでいる。
 資本主義の先進国アメリカでは、トップ1%の富裕層が全米の富の50%を保有するに至っている。
 先日発表された「ジニ係数」(所得分配の不平等度を示す指標)も、引き続き日本における所得分配の不平等度が増大していることを示している。
 かつて日本でも、90年代には「結果の平等」が重視されすぎると勤労意欲を阻害する、という議論が行われた時代があり、所得税の最高税率の引き下げが行われてきた。
 しかし、「努力しない人が報われて、努力した人がやる気を失う」時代は終わり、「努力しても報われない人がやる気を失う」時代になった。
 ありのままの資本主義の歯車が回り続ければ、ますます所得と資産の分配は不平等になり、人々の労働へのインセンティブは弱まっていくと考えられる。努力しても努力しなくても報われないのなら、人は努力しなくなる。
 こうした意味で、マクロの経済のあり方(労働インセンティブの維持)という観点からも、所得の再分配は重要である。 


3.因みに日本の所得税制は、こうしたかつての勤労意欲保持論の影響で、所得税率の累進構造はかなりフラットになっており、諸外国税制に比し、税制の所得再分配機能は最も小さいグループに入っている。
 また、社会保障も現役世代への支援はほとんどなく、年金を通じて現役世代から高齢者層へ所得移転しているだけなので、やはり所得の再分配機能は弱い。
 その結果、日本の経済社会は、何らの緩和装置なしに裸のまま、「富の一極集中」圧力にずっとさらされてきた。
 社会が痛むのはけだし当然である。


4.ただし、ここで注意を要するのは、結果として生じてきた不平等を、事後に所得再分配でならせばよい、という単純な結論には必ずしもならないという点である。
 アングロサクソンの国々(アメリカ、イギリス)は、こうしたアプローチをとっているが、実際には所得分配の不平等度は相対的に大きいままである。
 それは、所得再分配によって事後的に一斉に不平等を解消することは、論理的には可能であるが、政治的には難しいからである。
 従って、不平等を生む原因にまでさかのぼって、その要因をでき得る限り細かく丁寧に継続的に除去していくことが必要となる。
 そもそも、人生は結果がすべてではない。
 その過程が公平なものであったかどうかこそが、その人に幸福度に大きく影響するであろう。
 人生の過程において被った「機会の不平等」という不幸を、事後的には決して再分配できないのだ。
 我々は、このことをしっかり銘記しておく必要がある。