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与野党の壁を越え、政治は「大局」を見ざるを得なくなる ―2011年新春に思う―

text by

小泉龍司

2011.01.01

1.バブル崩壊の前、日本の政治は本質的には経済成長の成果を分配する「分配の政治」であった。地元へ、業界へ、より多くの利益を持ち帰ってくることが政治家に求められた。
 肝心の「経済成長」のマネージメントは、事実上、官僚と民間経営者に委ねられ、経済はそれなりにうまく回っていた。
 「経済は一流、政治は二流」と言われた時代である。
 バブル崩壊の始まりは、1990年(平成2年)であるから、この「分配の政治」は「(戦後)昭和の政治」と呼ぶこともできる。

 終戦直後、約7000万人であった日本の人口は、昭和30年代以降、年間100万人を超えるペースで増え続け、ピークの2005年までの60年間に約6000万人、人口が増加した。消費マーケットは拡大を続け、「誰がやっても、また何をやってもうまくいった時代」というのは言い過ぎかもしれないが、努力が経済的成果となって報われる幸せな時代であった。

2.(1)バブル崩壊以降、昨年までの20年間は、しばしば、デフレから脱却できない「失われた20年」と呼ばれることがある。そして、この20年間の政治のあり方を振り返れば、「アリバイ作りの政治」であったと言うことができる。
 90年代のバブル崩壊の後遺症から、98年以降のデフレへと日本の経済は成長軌道から外れていった。政治は次第に国民から厳しく、分配すべきパイが大きくならないことの責任を問われ始めた。
 小渕内閣の積極財政策、小泉内閣の規制緩和はいずれも期待されたように日本経済を成長軌道に戻すことができずに、逆に財政赤字や所得格差の拡大という大きな副作用を生んだ。
 その後、小泉内閣の末期から民主党政権に至る今日までの政治は、まさに「アリバイ作り」に終始してきたと断じてよい。
〇「郵政民営化は改革の本丸」
=日本がうまくいかなくなったのは、郵政や郵便局のせいである。
〇「コンクリートから人へ」
=日本がうまくいかなくなったのは、公共事業のせいである。
しかし、郵政民営化を行っても公共事業予算を2割近くカット(今年度18.3%減)しても、依然として日本はうまくいかない。
当然である。民主党も自民党も経済失速の真の原因を真剣に突き止めることなく、郵政と公共事業を犯人に仕立て上げたにすぎない。真犯人ではないからこれらの仕立て上げられた犯人を捕まえてみても、事件は一向に解決しない。
 ではなぜ、各政党は犯人を仕立てあげたのか?それは、自分たちが犯人ではないということを国民に示すためである。これが「アリバイ作り」の政治である。

(2)「アリバイ作りの政治」が続いてきたこの20年間に、日本の現役世代人口(15~64歳)は1997年以降減少し始め、総人口も2006年以降減少が始まった。
 財政出動しても、金融緩和を行っても、規制緩和を行っても脱却できないデフレの背景には、こうした人口動態のドラスティックな変化がある、ということを、政治家も経営者もごく一部を除いて気づいていない。
 この人口動態の変化という真犯人が分からないのであるから、責任を問われる政治は犯人を仕立て上げるほかない。これが昨年までの政治である。

3.年が明けて2011年。
 私は政治の立脚点が変わってくると感じている。理由はいくつかある。

(1)各政党は、もうこれ以上国民の目を欺くことはできなくなるであろう。
 「特定の犯人がいて、その犯人を捕まえれば事件は解決する」という形の政治ストーリーは、現実を反映していないのではないかという疑念が、徐々に国民の間に広がってきている。

(2)総人口の減少、現役世代人口の減少と本格的な高齢者の増加が進んでいるという実感が、国民の中により現実味を持って浸透しつつある。
 ちなみに、昨年我が国の人口は12万3000人の自然減少となった。また、昭和20年生まれの方が昨年65歳を迎え、今年からはいよいよそれに続く団塊の世代が65歳以上の年齢域に入ってくる。そして、団塊世代への年金支給も開始される。
かつて集団就職で全国から上京してきた若者も高齢化し、東京は今後最も急速に高齢者が増加する街になる。情報発信源である首都東京の急速な高齢化は、間違いなく今後の世論の動向に大きな影響を及ぼすであろう。

(3)財政破たんのリスクが着実に大きくなっていることも、2か年度(今年度予算と来年度予算案)続けて国債発行額が税収を超える事態を通じて、国民の肌感覚に伝わり始めている。

(4)以上を整理すれば、
 ①人口動態の変化により、消費マーケットが将来に向けて縮小していくことが、日本経済の苦境の原因であること。
 ②その中で財政収支が悪化していくこと。
 ③他方で社会保障のニーズがこれから本格的に増大すること。
 これらが次第に国民の肌感覚に伝わっていく。これが今年以降の政治の底流になると私は考える。

4.従って政治は、もはやこの底流を無視することはできない。
 最近、日曜日午前中の政治討論番組を見ないと言う人が、私の周りでも増えている。政党間の争いに、国民はもはや関心を置いていないことは明らかである。
 「大局」を見据える政治、「大局」に対処する政治こそ、この国民意識の底流に応える政治である。日本に残された時間は、もはやさほど長くはない。
城内実議員と私の二人で作る、無所属の会派「国益と国民の生活を守る会」は、院内最少会派であるが、2大政党いずれにも拘束されない立場に立っている。「大局を見据え、大局に対処する政治」を何としても実現するために、与野党の有志に全力で動きかけて参ります。