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日本の社会をどう変えればいいのか(12)―「機会の平等」を補完する「結果」の修正(所得再分配が必要になる理由)―

text by

小泉龍司

2011.02.25

1.これまで数回に分けて、人生の各ステージにおける「機会の平等」を確保するための分析について述べてきた。
 機会の平等を整えた環境の下で各人が努力し、その結果を享受するという仕組みこそが、より多くの人々の「努力と意欲」を引き出し、それが社会の活力を生み出して、最大多数の最大幸福をもたらす、ということについては大多数の皆様の賛同を得ることができるであろう。
 一人一人の「努力と意欲」は、様々な経済社会活動を通じて相互に相乗効果を生み出し、経済社会全体の繁栄をもたらす。そして、その経済社会の繁栄は、ひいては多くの人に恩恵をもたらす。
 そういう意味では、一人一人の国民が努力する意欲を持つということ自体が、結果として社会全体の支え合いを実現する道に通じている。
そして、人々の努力する意欲を生み出すための大元となるのは、「努力すれば報われる」ということが保証される仕組みである。報われるのであれば人は努力する。報われないのであれば人は努力しなくなる。
 これまで述べてきた「機会の平等」とは、「努力が報われる機会を国民に平等に提
供する」ということがその事柄の本質である。
 あるべき社会の最も基本的な理念はここにある、ということを、まずはっきりさせるべきである。

2.しかしである。これを基本に据えた上で、なお我々は次なるステップに考えを進めて行かなければならない。
 それは、果たして現実に本当に「努力が報われる機会を国民に平等に提供する」ことができるのだろうか?という疑問である。
 「機会の平等」についての制度的な環境をいくら精緻に整えても、最終的に個々人の置かれた環境の差違を完全になくすことはできない。
 比喩的には、努力の機会は平等に与えられるが、スタートラインは異なる、という言い方もできるかもれない。
 親の経済状況、男女の差、あるいは大都市に生まれたか過疎の町に生まれたか、などの差違を是正していっても、なお残る不平等はある。
 例えば、人が持つ多様な能力や才能のうち、たまたま本人が持つ能力や才能が現代社会で有用されるか有用されないか、という不平等がある。
 因みに、まじめでコツコツ積み重ねができることは大きな才能ないし能力であるが、現代の就職戦線では言葉を操る能力=コミュニケーション能力が過度に重視される傾向にあること一例である。
 また、結果や成果の大きさは努力にかなりの程度比例するであろうが、その過程で働く「偶然性」と完全に無関係ではない。
 こうした点を認識すれば「機会の平等」を社会としてギリギリ確保した上で、なお残される不平等についても、これをしかと考慮に入れて社会の仕組みを作る必要がある。

3.厳密に考えれば、こうした各人がスタートラインでもつ個別の差異(これも偶然性に由来する)や努力の過程で発生する「偶然性」は、これを明確に把握し計量することはでないため、これを除去する直接的な方法はない。
 そこで、「偶然性」の部分を除去する近似的方法がとられることになる。
 それが「所得の再分配」という方法である。相対的に富裕な人から貧しい人への所得の移転という方法である。これは、ある意味で「結果の平等」という方向からのアプローチであり、無条件では受け入れられないものであろう。すなわち、すべての国民に完全な機会の平等が与えられているとすれば、その結果は公平なものであり、それに手を加える(所得を再分配する)ことは、逆に不平等なことである。
 「努力が報われる機会を平等に保証すること」には反することである。
 しかしながら、スタートラインにおける個別の差異や努力の過程における「偶然性」を完全には除去できないという事実を前提とすれば、所得の再分配は社会の仕組みにおいて必須の基本要件となる。
所得再分配とは日常用語でいえば「格差の是正」である。
かつて小泉総理(当時)が「格差はあってよい」といった趣旨の発言をしたが、正確に言うとすれば「努力の差違による格差はあってよい」ということであろう。「努力が同じであるのに結果が異なる、という格差があっても良い」とは小泉総理も考えていなかったであろう。

4.一昨年の政権交代の大きな原動力は、国民の格差是正、つまり所得再分配への希求であったことは間違いない。
 にもかかわらず民主党政権は、この最も強く国民が求めている所得再分配について、この1年半の間、体系的な検討を全く行ってこなかった。

 〇所得分配の現状はどうなっているのか?
 〇どういうルールでどこまで所得再分配することが適当か。
 〇所得再分配の方法はどうするのか。

 こうした問題意識をほとんど持たず、子ども手当て、高校無償化、高速道路無料化、農業戸別所得補償などの断片的な政策を羅列するのみであった。それによって所得再分配がどう変化するかも、推計されていない。
 しかも、子ども手当については、従来の児童手当てにはあった所得制限をはずし、富裕層にも給付を行うという所得再分配とは全く逆の政策になってしまっている。
 また、最近になって、財源不足に行き当たってから、税と社会保障の一体改革の必要性を訴えるようになってきたが、動機が正しくない。
 財源がない=予算が組めないから税・社会保障改革が必要、というのは全く順序が違う。
 今国民が求めている政策は、適切な所得再分配はどういう姿かという国民合意を作り、それを実施することである。
 国民が強く求めているのは格差の是正である。つい一昨年のことなのに、与野党ともに、もうそのことをすっかり忘れてしまっている。
 これまで述べた考え方を国民に説明し、理解を得た上で、国民が納得する所得再分配の仕組みという尺度を当てて、税と社会保障制度を根本的に設計し直すというアプローチこそ、政治が真に説得力を持ち得る道であると思う。