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原発事故の原因、「楽観的想定」はどこから生まれたか(その1)

text by

小泉龍司

2011.05.12


1.静岡県浜岡原発の原子炉停止の要請が菅総理から中部電力に対して行われた。
 浜岡原発の原子炉は、福岡第一原発と同じ旧式の沸騰水型軽水炉であり、加えて浜岡原発は東海地震の想定震源域の真上にあるため、今回原子炉停止要請に至ったわけであるが、浜岡原発の原子炉が停止されても、それで問題がすべて解決される(安全が確保された)わけではない。
 福島第一原発も、地震の後、原子炉は停止したのだ。
 しかしながらその後、全電源が失われ、原子炉の冷却機能が失われたために、水素爆発が起こり大事故となった。

2.今回の事故の核心は、全電源の喪失ということを予め想定していなかったということにある。
 原発にとって電源はまさに命綱である。電源が失われればどのような事態になるのか。
 経済産業省所管の「原子力安全基盤機構」(独立行政法人)は、昨年10月に、7つのタイプの原子炉を対象に、地震時の事故のシミュレーション結果を報告書にまとめている。
 福島第一原発と同じ沸騰水型軽水炉(出力80万kw)について、全電源喪失し、原子炉への注水ができなくなり冷却が止まった場合には、

 約1時間40分後―核燃料の溶融による落下が始まる
 約3時間40分後―原子炉圧力容器が破損する
 約6時間50分後―格納容器も破損する

との結果が報告されていた。
 電源が止まってから約7~8時間は、余熱の力で注水できる機能が備わっているので、これを考慮すると、電源喪失から7~8時間+6時間50分=14~15時間後には核燃料が溶融し、格納容器も突き破って放射性物質が外に出てくることが想定されていたわけである。

3.実際の事故では、
3/11 15:30頃 全電源喪失(余熱利用の注水は行われる)
     16:40頃 注水不能
3/12  1:20頃 格納容器の圧力上昇、蒸気放出
     15:36頃 水素爆発
つまり、全電源停止から約24時間後に水素爆発が起こった。

4.原子力安全基盤機構により上記のようなシミュレーションが行われていたにもかかわらず、東京電力(他の電力会社も同じであるが)は、余熱利用により電源喪失後も冷却機能が維持される7~8時間の間に電源の復旧は可能であり、少なくとも非常用ディーゼル発電機を使用することは可能であると考えていた。
 また、原子力安全委員会が90年に定めた原発の安全設計審査指針でも、「長時間にわたる電源喪失は、送電線の復旧、非常用発電機の修復が期待できるため、考慮する必要はない。」とされていた。
 しかしながら、今回の震災では鉄塔が倒れて送電線の復旧は遅れ、また、津波により非常用ディーゼル発電機13台中(6号機の1台を除き)12台が使用不能となった。
 
5.この想定の甘さこそが、今回の原発事故の根源である。
 国家の存在と全国民の命が、これ程までに楽観的な想定の上に委ねられている、ということが、今回明らかになった。そして、実は今も委ねられているのである。
 国家の存亡に関わる問題にいともたやすく入り込むこうした「楽観主義」。
 原子力発電の推進がいつしか「国策」となり、「国策」に沿うような形で諸々の仕組みが運用されていき、その中で責任の所在が不明確になる。
 その結果、根拠のない楽観主義が生き残ってしまう。いつかどこかで見た光景である。
 1920~30年代、我が国が第2次世界大戦に突入していく過程の中に、同じ構造を見出すことができる。

6.因みに津波被害についても同様の想定の甘さが指摘されている。
 福島第一原発において想定されていた津波の最大高は5.7m。しかし、明治の三陸沖地震や関東大震災の時には、それぞれ岩手県や伊豆半島に10数メートルの津波が押し寄せていたのだ。何故、福島県沿岸部だけは津波の高さが6mにも満たないと想定していたのか、全くわからない。
 この津波予測を行った土木学会の津波部会の委員約30名のうち、過半数は電力会社ないし電力会社系列のシンクタンクの出身者であったと新聞により報じられている。
 親元の電力会社のコスト負担を軽減する方向に、津波高の想定についてバイアスがかかったとしても、不思議ではない。

7.こうした専門家と呼ばれる人たちによる根拠のない「楽観的想定」が、今回の原発事故の根本原因である。
 この楽観的想定は第一に、原子力発電が「国策」として推進されてきたことに起因すると考えられる。
 専門家と称される人たちも結局は、国策の円滑な遂行の障害となるようなスタンスを、長期間維持することはできなかったということだ。学会がありポストがあり研究費の確保がある。そもそも専門的知見が容易に政治的意思を覆せるような仕組みには、事実上なっていない。
 確かに法制度上は、原発の運営は経済産業大臣の許可に基づいて行われる。そして事前に原子力安全委員会の了承がなければ、経産大臣は許可することができない仕組みになっている。
 しかし、政府の意思を根本的に覆すような決定を行うことができる委員は、はじめから原子力安全委員会の委員には選任されない。
 また、原子力安全委員会の委員の選任は国会における同意を要するが、政府与党が多数を占めるため、国会がチェック機能を果たすことも事実上できない。
 このように委員の選任権を政府が持つ時点で、そもそも原子力安全委員会は政府に従属していることになる。

8.「楽観的想定」が生ずることとなった第2の原因は、原子力発電の推進が国策でありながら、これが民営で進められたこと(国策民営)にあると考えられる。
 国策でありかつ民間会社がこれを進める。当然目先の利益追求が第一義となる。その結果、コストを軽減できる方向にバイアスがかかる。津波の高さに関する想定に働いたのはこのバイアスである。
 今回、原子炉への海水の注入が遅れたのも、一基数千億円する原子炉を廃炉にしたくないという東電の利潤計算が原因であると指摘されている。
 さらにチェルノブイリ原発事故の後、政府は全電力会社に原発の「過酷事故」対策の強化を要請したが、これも強制力を伴わない指導、勧告ベースのものであった。
 強制力を伴わない指導、勧告ベースであれば、電力会社の側では当然、そこに利益追求という安全確保とは異なる次元のもう一つの判断基準を持ち込むことになる。
 結果的に国も、あくまで勧告であるから最終責任を負わない。電力会社も独自の判断ではなく、国の勧告に基づく対応だからという理由で最終責任を負わないという、極めて巧妙な仕組みができ上がってしまった。
 これが国策民営の実態である。