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原発事故の原因、「楽観的想定」はどこから生まれたか(その2)
―「半分は天災」・・・許し難い斑目原子力安全委員長の答弁―

text by

小泉龍司

2011.05.16

1.去る4月27日の衆議院・決算行政監視委員会に、斑目原子力安全委員会委員長をはじめとする専門家、東電、経産省幹部を参考人として呼び質疑を行った。
 私は自由討議の中で(時間の制約の中で各委員1問だけということであったので)1問だけ斑目委員長に質問した。

〇小泉(龍)委員
 国守の会の小泉龍司でございます。
 私が伺いたいのは単純なことです。今回の事故は天災なのか人災なのか、その一点です。この公の場で、日本の最高の頭脳を持った原子力の専門家の方々がどういうふうに言われるのか、これは人災だったというのか、いや、天災で想定外だったというふうに言われるのか、その一点でございます。
 代表で斑目委員長のお答えをいただいて、追加でもう一つだけ。
 甘かったと言いましたね。安全審査の指針が甘かった。五・七メートルに対して十四メートルの津波が来たんです。何で甘くなったんですか、どうして甘くなったんですか。住田先生もおっしゃっていました。この辺に不安があったんだと。その不安をなぜ現実に指針にしなかったんですか。
〇斑目参考人
 天災か人災かということですけれども、これは、私に言わせればフィフティー・フィフティー、天災の部分も50%ありますが、人災の部分もあったということはもう認めざるを得ないと思っております。
 それから指針の策定については、これは体制がやはりきちんとしていなかったのではないかということをちょっと気にかけております。


2.この無責任な答弁をする人が、わが国の原子力行政の最高権威なのだ。いや、見方を変えよう。このような無責任な答弁をする人を、原子力行政の最高位に据えるような仕組みであったから、福島第一原発事故が起こったのだ。
 そういう意味で、今回の事故の原因はこの斑目委員長の答弁に凝縮されている。
 「半分は天災」・・・50%の部分は仕方がなかった。ということは、

(イ) 国も東電も事故の半分について責任を負えばよい。
(ロ) 全国の原発でどんなに半分の「人災」の部分を予め措置して、なくしても、残り半分の「天災」の部分はなくせない、起こり得る。

ということだ。
 我々は、国民に向かって原子力行政の最高権威が発したこの言葉を決して忘れないようにしよう。
 そこから今回の事故の責任追及が始まるからだ。
 また、そこから今後の原発政策の根本的見直しが始まるからだ。