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日本の社会をどう変えればいいのか(26)―デフレ対策としての中央銀行による「インフレターゲット政策」―

text by

小泉龍司

2012.05.25

1.デフレ対策について、「日銀が積極的な役割を果たしていない。諸外国に例があるような、明確なインフレ目標(物価上昇率の目標)=インフレターゲットを掲げ、かつより多くの「マネタリーベース」(広い意味の現金・・・現金+日銀に銀行が預けていていつでも引き出せる当座預金勘定の残高=日銀の当座預金残高)をもっと増やすべきだ、との議論がある。
 民主党内にこれを推進する議員連盟が結成され、自民党やみんなの党も同様の主張を先の予算委員会などで行っている。
 日銀が言うことを聞かないなら、日銀法を改定してでも実行すべき、との主張がなされている。

2.これに対して日銀は1月25日の金融政策決定会合で、「消費者物価上昇率1%をめどとして」金融緩和を行うことを宣言し、上記の主張に歩み寄ったが、インフレターゲット論者からは、1%を2%とすべき、「めど」は曖昧であり明確な「目標」とすべき、との批判がなされている。
 特に、アメリカのFRBが今年に入り、物価上昇率2%という明確な「ゴール」を定めたことを受け、批判を強めている。

3.広い意味での「現金」を増やす・・・具体的には銀行が保有する国債等を中央銀行が買い上げて、中央銀行にある各銀行の当座預金勘定に振り込むことにより、当座預金残高を増やす方策・・・を金融の「量的緩和」と呼ぶが、この量的緩和には、次のとおり3つのルートを通じて景気を刺激することが期待されている。

4.このうちインフレターゲット論が重視するのは、2番目の「期待インフレ率」の上昇である。

5.「期待インフレ率」の上昇を通じるルートに効果はないのか?
 現金を増やすことにより、期待インフレ率が高まることを否定することは誰にもできない。
 通貨の量が増えるとインフレになる恐れが大きいから、通貨の番人として中央銀行が存在しているのであって、日銀がこれを否定すれば日銀の存在理由そのものがなくなってしまう。
 しかし、重要な留意点が2つある。
 一つは、期待インフレ率上昇は「長期的な」現象であると理解されているという点である。
 アメリカFRBのバーナンキ議長も、先のインフレゴール決定の際にこう述べている。
「長期的なインフレ率は主に金融政策によって決定される。したがって我々は、インフレの長期的な目標を特定する能力を持っている。」
 この理解が社会全体に浸透していれば、日銀の警戒心も和らぐことになるであろう。
 ターゲットを明記しながら物価上昇率がそれに届かない状況が続くと、日銀は責められる。かといって期待インフレ率が上昇していくのはまだ先の話であり、日銀としてはどうしようもない。しかし、当面責め続けられる中で、一層のマネーの増加を求められて断りきれず、これを増加させた場合、コントロール不能のインフレに陥ることを日銀は恐れている。
 私は、日銀のこの考え方、懸念は正しいと思う。
 インフレターゲットは長期目標だということを広く社会、なかんずく政治が理解していない場合、過度の金融緩和に追い込まれる懸念を持つことは、中央銀行として当然のことであると考えられる。
 政治がインフレターゲットをやれと圧力を高めれば高めるほど、インフレターゲット導入後にも強い政治的圧力が来ることを懸念せしめ、日銀がより頑なになる、という「北風の論理」が働いているのだ。

6.「期待インフレ率」のもう一つの問題点、それは「期待」という主観的要素がかかわっているという点である。
 お金が増えれば物価が上がると誰もが予測し、物価が上がるなら早く物やサービスを買った方が良いということになって、経済が回り始める。
 こうした仕組みが想定されているのであるが、お金の増加→物価の上昇はあくまで「期待」であり、人間の心理である。そこに色々な別の「期待」が折り重なることは当然に起こる。
 現時点で、消費者が将来の物価を予想する際に直面するのは、「お金の増加と人口の減少」である。大幅な人口減少が今後100年以上も続く中で、お金を増やしたからといって、それがそのままの形で物価上昇の「期待」につながるかどうかは誰にも分からない。
 少なくとも、かつての人口増加時代に比べて物価上昇期待は大きく減殺されると考えるのは自然なことである。

7.こうして考えてみると、我々は「期待インフレ率の上昇」に過度な期待をかけてはならないのではないか、ということになる。
 言い方を換えれば、現金を増やし続けても、従来よりもさらに長期間期待インフレ率は上昇せず、上昇し始めた時には巨額の過剰流動性を抱えてしまっている、という事態も起こり得るということを考慮しておく必要がある。

8.他方、日銀が重視するのは1番目のルート、銀行貸出の増加を通じての景気刺激効果である。
 日銀によれば(また、実際にそうであったが)、小泉政権時代に行われた量的緩和策の下で、日銀当座預金残高は35兆円規模に達したが、銀行貸出の増加にはつながらなかった。日銀当座預金には利息は付かないので、資金を寝かせていてももったいないからこれを貸出に回そうというインセンティブが働くはずであるが、実際には貸出は増えなかった。実物経済における需要不足を受けて、企業の側に資金需要がなかったからである。
 日銀はこのことを踏まえて、金融政策だけではデフレからの脱却は図れないと主張し、「インフレターゲット」を高らかに謳い日銀のプレゼンスを高めることにより、金融政策に過度の期待がかかることを警戒している。

9.全体として考えてみると、金融の量的緩和の効果は、人口減少と需要不足が続く現状では従来のような形では発揮されない可能性が大きいと思われる。
 インフレターゲット論は金融緩和が「切り札」であるというような言い方を多くするが、これまで分析してきたように、それは過剰な期待である。ましてやインフレターゲット論が政治のデフレ対策の「アリバイ作り」になってしまってはいけない。
 私は金融緩和策の効果を決して否定するものではないが、それに頼るあまり、実物経済を見ること、その実相を見ることを放棄してしまってはならないと思う。