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「主体的争点なき政治」を越えていかねばならない。

text by

小泉龍司

2012.12.03

1、衆議院選挙を前にして、政党が次々と生まれ(主要政党だけでも12の政党)、離合集散を繰り返している。
 小選挙区制の下で、民意を二大政党に大きく「集約」するはずであったのに、現実は制度の目的通りには進んでいない。
それどころか、事態はむしろ逆の方向に向かってしまっている。
 「集約」ではなく「拡散」へ。
 
2、なぜ、こういう状況になってしまうのか?
 理由は二つあると思う。
 一つは、選挙を控えて個々の政治家の生き残り策としての、政党移動、政党創設である。そうやって生まれる政党は、選挙後は実質的に機能しなくなる恐れがある。
 
3、二つ目の理由は、日本の政治が「受け身の争点」だけで動いていることである。
 アメリカからはTPPを、中国からは尖閣問題を、財政赤字の状況から消費税問題を、原発事故からは原発の適否という問題を突きつけられ、それにどう対応するかがあたかも政治のすべてであるかのような様相を呈しているが、冷静に考えて頂ければおわかり頂けるように、これらはすべて日本が対応を迫られている「受け身の問題」である。各政党が国を救うために積極的、主体的に提起した問題提起ではない。
 本来であれば、「日本再生のストーリー」をこそ各政党が語り、それが国政や選挙の争点になるのでなければおかしい。
受け身の問題に、単にYESやNOだと言って政党の存在理由が立つのなら、少なくとも問題の数のべき乗の数だけ政党ができてしまう。(先に挙げた4つの問題について、YES/NOの組み合わせは、2の4乗=16通りあるが、現実の政党の数はそれすらも上回ってしまっている。)
 
4、これら4つの問題も確かに重要問題である。しかし、これらを解決しても、それだけで日本が再生するわけではない。
 国民が求めているものは、その先にある「日本再生のストーリー」である。
 そのためには、現在の状況に深く立ち入っていかねば、解決策は見つからない。
 その努力と思考が、現在の政治には欠けている。真の「日本再生のストーリー」が見出せないから、上辺だけ他党との差違を強調し、その結果、政党が無意味に細分化していく。これが「多党化」の基本的な構図ではないかと思う。
 日本の政治は、問題把握能力と政策提起能力を高め、ステップアップしていかねばならない。本質的には、そのことが今、最も政治に問われ、求められているのではないか。
 「主体的争点なき政治」を、何としても越えていかねばならないと思う。