基本政策

施政方針演説について考える

text by

小泉龍司

2003.02.09

 1月20日に通常国会が召集され、今年度の補正予算が成立した後、去る1月31日総理の施政方針演説が行われ、これに対して各党による代表質問が2月3日(月)及び4日(火)行われました。

 日本の経済社会の根幹が揺らぐような危機に直面している現在、総理の施政方針演説は広く内外の注目を集めました。私もこの3日間、本会議場において総理の演説や各党代表による質疑を聞く中で、一つの大きな問題意識を持ちました。このことを申し述べたいと思います。端的に言えば、現在の内閣の政策は日本経済の立て直しにその関心のほとんどが向けられており、日本の経済社会全体のあり方に対する検討・洞察が十分に行われていないということであります。

 日本はいわゆるグロバリゼーションの中で、アメリカや中国と経済競争するための国際競争力を強めていかねばなりません。そのために構造改革によって経済の効率性や生産性を高め、日本の経済力を再生しようとしているのが小泉内閣の政策です。
 しかし、今日の日本を再生するためには、「経済システム」だけではなくして「社会制度」(医療・年金・介護などの社会保障制度、ワークシェアリングなどの雇用制度、環境問題への対応、教育制度など)のあり方を根本から作り変えることが必要です。言い換えれば国民が求めているものは、「経済的豊かさ」だけではなくて、「安定した将来の人生設計、教育機会の平等、生命の安全」などといった、より基本的な社会生活の基盤であると思います。例えば社会保障というものが経済競争に敗れた敗者への単なる「セーフティネット」であってはならないのです。
 経済の豊かさが一つの「幸せの尺度」であるとするならば、もう一つの「幸せの尺度」はこうした社会生活の安定ではないでしょうか。

 ヨーロッパ諸国では20%近い消費税率や日本よりも高い失業率の国々においても、人々は現在の日本人のような不安感を持たずに安定的な社会生活の中で幸せを享受しているように見受けられます。そうした形の「社会政策」が現在の内閣の政策には欠落しており、そのことに多くの国民が強い不安を感じて消費が萎縮し、ますます経済の停滞とデフレが進むという悪循環に陥っています。

 総理は演説の中で、「日本には潜在力がある。元気な企業もある。失敗に挫けずに自信と希望を持って前に進む精神力が必要だ」と述べられましたが、しかし、現実にある国民の不安を解消し、経済効率という尺度では計れない社会の安定を生み出すための政策なしには、国民の前向きな精神力も生まれてこないのではないでしょうか。

 「都市対地方」という構図でこの国を眺めた場合にも、同じような結論が導かれます。これまでは公共事業の地方への配分という形で都市部と地方の所得格差を埋めてきました。しかし、公共事業にまつわる不正や無駄が大きくなり、また、逆に公共事業の波及効果が小さくなってきた現在、都市部と地方の所得格差を埋める方策として、この上記のような「社会政策」に重点を移していくことが極めて重要であると考えます。
 環境再生のための公共事業、低所得者向けに重点的に配慮した奨学金制度、農業に対する直接所得補償制度、そして手厚い医療・介護・年金制度が厳しい経済競争にさらされる地域社会に安定的な生活基盤を与えることになる。そういう方向を向いた政治が今強く求められていると思います。

 この問題を議論する時、そこには一つの厳しい条件があります。
 それは、我が国の財政破綻が懸念される程度に悪化した国及び地方自治体の財政危機の問題です。社会政策に配分できる十分な予算があるのかどうか、そこが問題となります。私は、安易にかつ小出しに国民負担を求めてきたこれまでのやり方を改め、政府が今述べたような形で経済競争による格差の是正や地方の安定に取り組む強い姿勢とはっきりとした理念、方針を国民に示し、その大前提として無駄な予算を徹底的に削り、行財政改革に真剣に取り組むならば、具体的な形で負担の増加と、一方で手厚い社会政策のパッケージを選択肢として国民に問うことができると思うのです。
 この部分は誤解をしていただきたくないのですが、決して安易な増税を言っているのではありません。「小さな政府」は必要ですが、すべてを経済に委ねないで、中小企業や農家、商店街を中心とする地域経済社会の安定を図るために、効率的な = 小さな政府でありながら十分な機能を発揮する = 「小さいけれど強い政府」が21世紀の日本にはどうしても必要ではないかと考えます。

 今申し上げたことは、私個人の考えであり、ご意見がございましたら、是非皆様方からあればご教示を賜りたく存じますが、少なくとも総理の施政方針演説や各党代表質問による質疑に国民が期待したのは、こうした次元における国のあり方の本質にかかわる議論ではなかったのか、との思いを強く抱きました。